« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

気仙沼へ・・・

以前にも書いたとおり、我が両親は気仙沼の出身である。

3.11以来、なんとなく気にしながら、でも私からは特に連絡を取るでもなく過ごしていたが、新幹線はもちろん、当面無理だろうと思っていた一関からのルートも復旧したと聞き、ちょうど夏休みだし、みんなで行こう・・・ということになった。

ここのところ余震も多かったし、不安といえば不安であったが・・・

親戚のみんなは元気だった。

駅まで車で迎えに来てくれて、どこに行くにも誰かが車を出してくれて、家を訪ねれば「あれもこれも」と食べきれないほどの料理やお菓子で接待してくれて・・・

いや、特に母方の親戚は昔から「食え食え攻撃」が激しかった coldsweats01 のだが、だいぶ時は経ったとはいえ、そんなに食料品類が流通しているとは思っていなかったので。

せっかく遠方から訪ねてくるんだから・・・と、精一杯もてなしてくださる気持ちを思うと本当に申し訳なかったし、ありがたかったのだが、でも、そんなに食べられないんだよー。あれでも普段の2倍以上は頑張ったんだぜ・・・食べきれなくて、ごめんね。

みんなは口々に津波の話をしてくれた。不思議と地震そのもの(揺れた時の恐怖とか)については誰も話さなかったけど、恐怖のあまりにまだ話せないのか、それとも津波のインパクトが強すぎて地震の記憶がかすんでいるのか、私にはわからなかった。

あの日から5ヶ月過ぎて、町はかなり片付いているように見えた。ただ、海沿いの地盤沈下してしまった地区は若干取り残されていて、ゴーストタウンのようになっていたが、心配していた臭いもほとんど感じないくらいになっていた。

今は穏やかに流れている川が瓦礫で埋め尽くされたことも、雑草の緑が広がっている向こうに海が望める平原が、本当は家がみっしり建っていて海なんか全然見えない住宅地だったことも、その時を知らない私には「信じられない」といか言いようがなく。

潮の流れによって、わずかの差で難を逃れた家々の人たちは、親戚とか顔見知りとか関係なく、たとえ見知らぬ人であっても、家を開放して泊めてあげたのだそうだ。

素晴らしいなぁと思う。これがもし自分だったら、もし私が住む地域だったら、どうなんだろう・・・被災していないのに買い溜めに走ってモノ不足に陥った都市部では、そんな温かい話は聞けないかもしれないね。

駆け足の2泊3日で、結局ただお客さんとしてお世話になってしまって、実に申し訳ない限りだが、見たこと聞いたことは忘れない。

一日でも早い復興を、そして心から安心して暮らせる日々を取り戻せますように、心からお祈り申し上げます。

| | コメント (0)
|

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »